◆別名:
丹羽長秀屋敷
◆所在:
小牧市小牧4-825
◆交通:
◆歴史:
織田信安が岩倉城の出城として築いた事が始まりと言われている。
その後、織田信長が丹羽長秀に命じて小牧山城を築く際に、長秀はこの地に屋敷を建て、城普請を監督したが、信長の支配地域拡大に伴い、長秀も屋敷を移して行き、屋敷は廃された。
小牧長久手の戦いの際、徳川家康が近隣の城館跡を砦として改修。
宇田津砦(宇田津氏の屋敷)、田楽城(長江平衛門の屋敷)、南外山城(堀尾孫助の屋敷)など
と共に、丹羽長秀の屋敷跡も蟹清水砦も小牧山城の支城として戦を支えたと言われている。
戦後、江戸幕府の時代になると、一帯は小牧御殿として尾張藩主の別荘として利用され、天明2年(1782年)には敷地内に代官所が配されたと伝わる。
◆現在:
一帯は宅地化され、蟹清水の由来となった清水も消失している。
道路脇に碑と看板が残るのみである。