吉田(よしだ)城

2018年5月27日撮影


◆別名:

柏井吉田城 ・ 柏井城 ・ 下条城

 

◆所在:

春日井市下条町

 

◆交通:

 

◆歴史:

室町時代に小坂吉政によって築かれた城である。

小坂吉政は山名氏に仕えていたが、応仁の乱の頃に楽田城主である織田敏定が京都に出た際、近江の国人である余語氏と共に敏定の家臣となり、篠木の地の代官としてこの地に赴任して城館を築いた。

当初は屋敷程度の物であったが、後に土塁や堀を築き、本格的な城館として機能していたと言われている。

 

戦国時代に入ると、3代目小坂吉俊は織田信長に仕えるようになるが、天文23年(1554年)(※注1)吉俊の嫡男である小坂正氏は清洲城の坂井孫八郎を攻撃した時(安食の戦い)に討ち死にを遂げ、次男の正吉も重傷を負った上、別の戦いで戦死を遂げる。

小坂家に家督を継ぐ男子がいなくなったため、織田信長は名跡が絶える事を惜しみ、吉俊の娘が嫁いだ先で産んだ子(吉俊の孫:後の小坂雄吉)に家督を継がせ、吉田城を支配させた。

 

天正12年(1584年)小牧長久手の戦いの戦後処理で吉田城や上条城などを含めた諸城を取り壊す事を豊臣秀吉が命じたため廃城となった。

 

※注1

Wikipediaなど主要サイトには『弘治2年(1556年)に坂井大膳を攻め、清洲城の南で討ち死に…』とあるが、坂井大膳は1555年に織田信光の謀略にかかり、駿河の今川義元の下へ逃亡しているため、年代的に見て1554年の間違いだと思われる。

 

◆現在:

本丸跡は下条公園となっており、公園の南東角には城跡碑が建てられている。

公園整備時に大岩が出土し、小野小学校、下条八幡社、泰楽寺におかれている。