苅安賀(かりやすか)城

2017年10月31日撮影


◆別名:

 

◆所在:

一宮市大和町苅安賀1580

 

◆交通:

 

◆歴史:

浅井高政の築いた城館と言われている。

高政は尾張浅井家の当主と言われており、戦国大名である近江浅井氏の庶流を名乗っているが、系譜は定かではない。

ただし、浅井政重(後述する浅井長時の弟)は浅井長政の娘である於江の方の推挙によって徳川家康に仕えている事から、全くの無縁と言う事もなさそうである。

 

高政の跡を継いだ政貞は、織田信長の若かりし頃から従い、近江観音寺攻めなどに功があり、後に織田信忠の軍に組みこまれており、その嫡男である長時は本能寺の変で信長・信忠が討死すると織田信雄に仕え、岡田重孝、津川冬重と共に三家老の一人として織田家に重きを成していたが、天正12年(1584年)に謀反の疑いをかけられ、主君の信雄によって殺害されている。

 

苅安賀城は浅井長時を討ち取った森久三郎が城主となり、小牧長久手の戦いでは織田・徳川連合軍による尾張西部の拠点の一つとして存在したとされるが、信雄の没落と共に廃城になったと考えられる。

 

◆現在:

苅安賀自動車学校の南東角に城址碑が残るのみである。