◆別名:
◆所在:
岩倉市下本町城址
◆交通:
◆歴史:
文明8年(1476年)応仁の乱の影響により、尾張守護である斯波氏でも家督争いが勃発。
これにより、守護代の織田家の間でも、下津城を本拠とする織田伊勢守家と、分家筋にあたる織田大和守家の二派に分かれての争いが始まり、伊勢守家の当主である敏広は敗北。下津城は消失した。
文明10年(1478年)織田大和守家の当主である敏定は、幕府より尾張守護代に任ぜられ、清州城を守護所として尾張南部を治める事に成功する。
これに対し、文明11年(1479年)に下津城を追われた伊勢守家の当主である織田敏広が、尾張北部を治めるために築いた城が岩倉城である。
◆現在: